ちょっと自分史

2008年11月29日 (土)

昔の思い出

恥ずかしながら、前の記事の続きを書きま~す。

農業記録賞は、2回応募させていただいたんだけど、最初の時は48歳だった。

我が家は、普通の農家の人たちとは、ちょっと違ってて、普通の農家は両親が居て、そこに後継者がいて、その後継者に嫁が来る・・・・・・そ~してその両親が、一生懸命働いて後継者に範を示し、家族ぐるみで一緒に働きながら後継者も嫁も仕事を覚えて行く・・・・・・

そんなパターンが多いのである。

ところが我が家は大事な母親が50歳で亡くなり、私が嫁に来た時は祖父(72歳)、祖母(73歳)、父(52歳)、妹(17歳)、(11歳)、弟(14歳)と私を含めて総勢8名

父は母を亡くして、放心状態のところへ私は嫁いで来ました。

1回目の農業記録賞は、そんな嫁に来てからの事を書きました。

2回目は56歳の時で 《かりかり大豆》 がどうして出来たか、と その後を書いたの。

今、こうして歳を取って見ると、昔のことが懐かしく、思い出されます。

父は (私にとっては舅で義父と書くのが筋だろうけど、義父・・・よりやはり父みたいな関係だったんであえて父と書きます。というとえらい仲がいいように聞こえるんだけど、お互い遠慮がなく、よく喧嘩をしました。) 嫁にきたばっかりの私に 「結婚したら一人前だこれから先はお前たちでやっていけ。」  こう云って後は手も口も出しませんでした。

運転資金も渡して貰えませんでした。

当時我が家には 『種付け牛』 がいて、(もうかれこれ50年近くなるんだけど、当時の農家は皆農耕用の牛を飼っていたの。種付けは人工授精ではなく、なまでやってたの。)一頭種つけたら、3,000円頂いてた。それが我が家の生活費だった。でも牛は毎日は来ないし・・・・・

米のお金は父が握っていたんで、やりくりは大変だった。

そんな私が どう歩いて来たか、 を書いたんです。また長くなるんで、続きは後ほど・・・

若い時の写真を見て、思い出に浸っているのっぽさんでした。おやすみなさい。 

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2008年11月11日 (火)

昔懐かしい活動期の写真に出会った。

うちを片付けていたら14,5年から20数年前の写真が出てきた。

生活改善グループに入り、いろいろ活動していた時の写真だ。先ず驚いたのが若い
(当たり前ではあるが・・・・・)。

のっぽさんが 《農業記録賞》 に応募し入賞した時、田川のメンバーがお祝いをして下さった。

実はこの 《農業記録賞》 にはいきさつがある。

最初に私が応募した時は48歳の時で、農業改良普及所(現在は農業改良普及センター)の先生が応募規定を持って来て下さった。

先生は 「田川ではあなたしかいないから是非書いて欲しい。」 「 いや~それは無理よ!私はそんなの書けない。そんな能力ない!」

そんなことない、の 書けない、 の 言葉のやりとりがあり、その内先生の方が負けて 「じゃ~要綱はここに置いて帰るから、暇を見つけて読んで、・・・田川ではあなたしか考えていないから、この要綱は置いてくよ! もしその気になったら書いてね、 どうしてもいやならそのまま捨ててもいいよ!」

先生の帰った後、その要綱を読んでみた。

その要綱には 《この文章に書かれている事を農政に反映させる》 とあった。 

今まで農政に対していっぱい言いたい事あったけど、いつも百姓仲間と愚痴を言うだけで、単なる井戸端会議でしかなかった。

(えっ、これに応募すればその言葉を農政は考えてくれるの~。こんな百姓のおばちゃんの云う事を取り上げてくれるの~。じゃ~私書くわ~。)

当時は稲、苺、茄子、胡瓜、の複合経営で文章など書く時間なんて見つけられないほど忙しかった。

6月のある日から、夏野菜の収穫、田植えと忙しい中、原稿用紙20枚と制限を定められ、又締切と睨めっこしながら、原稿書きが始まった。夜ばっかりの原稿書きだった。

これ以上書いたら、文章長過ぎるんで今日の所はこれで終わります。この続きは又書きます。でもね、この時のこの原稿入賞したんだよ!農政に反映はどうかな~。

ではまたね~。おやすみなさい。

 

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2008年5月17日 (土)

また、やっちゃいました。

近所に私の苦手な人(Mさん)が居る。
話している時はとても気が合って、いいようであるが、時が経つとそれが裏目にでるのである。

いわゆる聞き上手なのかな~?
義父がアルツハイマー病になって困っている時、いつも来て私の愚痴を聞いてくれてた。私もいろいろあるもんでついつい愚痴っていた。

私はこの人がいつも見てくれているので、人にこなされる(悪口を言われる)ことはないと思っていた。(アルハイマー病の人に対しての私のやりかたは人が見ても悪いことはしていない、ただ、ただ大変だったことは間違いない)

ところが・・・・・である。近所の人達が段々と変わってきた。いつの間にか私は村八分になっていった。

その内それを見かねた若い人が、『おばちゃんこれ良くないね~、大人のいじめやが~。』 って言ってきた。

話を聞くと何所に云っても「おばちゃんが、じいちゃんをいじめている」 って云いふらしているとの事、『おばちゃんはいつもここは良いところよって言っていたけれど、以前とは全く違うね~、ここ怖いよ!』 そう 私はいつも若い嫁さんに『ここはいいところよ!若いものも年寄りも平等に発言出来て、年寄りはちゃんと若いもんの発言を聞いてくれるしね~、良いところに嫁いできたよ!』 って言っていたの。

それから余りにも多くMさんとトラブルが起こり、私の中で要注意人物になっていった。

いつもお互いにと云うより私の方が何かにつけて、手を差し伸べて来た人である。

えッ えッ と云う事が何度も起こった。今までの付き合いってなんだったんだろ?

いつも自問自答する私だった。そ~してやっと私の心が決まった。心(しん)から付き合わないことだ。適当にその場かぎりに付き合うこと・・・・・

10年ぐらい前の話である。そ~して、それからは適当に付き合い、いくらこなされても私は私、Mさんの云う事には動じない、を貫いてきた。

ところが・・・・である。今日は上機嫌でやってきた。話を聞くと、「病院の先生がね~、お酒は血液の循環が良くなるから飲みなさい、毎日飲んだらいいよ!って言ったから毎日飲んでいる今日で10日ぐらい続けているよ!」 と上機嫌なのである。

Mさんは元々酒好きである。その酒好きのMさんに「お酒は飲んだ方が良い」 なんて病院の先生が言ったもんだから始末が悪い。亭主や子供の注意も聞かず、毎日酒を飲んでいるのである。それも体に良いから・・・・・である。

それで近所の人は 「よかったね~好きな酒が飲めて・・・・」 と云ったそうである。

「あのね~Mさん、先生はあんたが酒好きとは知らないで言ったとおもうよ、酒好きのあんたには、それはよくなかったね~、飲んでもいいけど、毎日は良くないよ、一週間に1日か2日は飲まない日があった方がいいよ!毎日薬と思って沢山飲んでると、肝臓を壊すよ!」

あ あ あああ またやっちゃった、いくらいいと思っても相手には伝わらないのに・・・・
み~んなみたいに「う~ん好きなもんは遠慮せんで飲んだらいいよ、血のめぐりもいいし・・・」 な~んて言っていたらあたりさわりが無いのに・・・・

反省しきり・・・の、のっぽさんです。いつも一言多いのっぽさんでした。

 

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2008年4月17日 (木)

68才を迎えました。

今日が68歳の誕生日、何も誕生日を喜ぶ歳でもあるまいに・・・・・と思うんだけど、生まれてから68年も経つと思うとすごいな~。

昔、のっぽさんがまだ嬢ちゃんだったころ、70歳近い人は本当にお婆ちゃんにみえてたけど、のっぽさんもそうなっているんかな~?

自分は見えないので、気分だけはまだ若いつもりだけれど、町を歩いている時、ショウウインドウに写った自分を見て、ギョットする。  と、云う事はやっぱり婆ちゃんやん。

婆ちゃんのはずよね~。自分の生まれた家で過ごした年月よりこちらに来てからの方がもう2倍も過ぎるんだもの。

のっぽさんがこちらに嫁いで来たときは、私を含めて8人の大家族だったんだ~、お爺ちゃんにお婆ちゃん、お父さんに弟妹3人、一番下の妹が小学5年生、一番大事なお母さんは居なかったんだけど・・・・・思い出したら良くやってきたな~と思うよ。

それぞれ弟妹を独立させてさ~、 子供たちもちゃんと独立して、今は爺と婆で二人で暮らしてんだけど、・・・ でも今は婆ちゃんにはなったけれど、したい事やってて、現役でまだ働いているし・・・・・・・良かったと思わなくちゃ~ね。爺も婆もまぁ~元気にしているし・・・・まぁ~一病息災ってことかな~?

何だか昔を思い出して、しみじみしているのっぽさんでした。

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2008年1月15日 (火)

歳を重ねるということ part2

今日久し振り、友人が遊びに来た。私ぐらいの歳になると、すぐに昔の話に花が咲く。
昔の四方山話をしていたら、「あのね~、Kさんね~ 近頃おとなしくなってね~。」と何度か言った。「あんたね~、おとなしいと言ったら聞こえはいいけど、それって呆けてるって事オ?」と聞くと、「そうかもね~。」

つい先日親しくしていた、と言うより、尊敬しお世話になった友人より電話がかかり(私は結構私より7、8歳年上の友人が多い。)「貴女にお礼を言っておかなければ・・・・今までありがとう。」という。訳を聴くと「体の調子が悪く、急に痩せた。貴女には今までどうりのいい姿だけ覚えていて欲しい。」と言う。 すぐにでも逢いに行こうと思ったら、「こんな姿は見せたくない。いい姿だけおぼえていて~。」 どうしても行くという私は拒否された。

(そうなの~、調子が悪くなったら見舞いもいけないの~。)私は納得いかないまま、彼女の見舞いに行く勇気もなかった。(Sさん早くよくなって~。)

今度はまた別の友人である。kさんは私がびっくりするほど、しっかりものだった。
でも今となってはSさんのように、自分の意思表示も出来ないらしい。
(そういえば年賀状がなんとなくそっけないな~、と思ったけれど、本人が書いたものではなかったんだ~。)
この彼女にも、今度は物見見物のようで、逢いには行けなかった。

(歳をとるっていやだな~。歳をとるってこういうことなんだ~。) 歳と時間だけはみ~んな、平等にくれるけれど、歳だけは欲しくないのっぽさんでした。シク、シク!!

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2007年12月21日 (金)

私の連れ合いは仏様?

つい先だって、女7~8人寄って雑談していた。その内、皆我が亭主の悪口を言い出した。
私は「私んちは仏様よ。」 「あんたそんな事言うけれど、迂闊にそんなこというんじゃないよ。それって誉め言葉じゃーないよ。」 と言う。

彼女曰く、「仏様はな~んにもしないで、ただ黙って見てるだけよ。それって亭主に失礼よ!」だって。

う~ん  考え込んじゃった。”あっ、そうか~、仏様って黙って立って、微笑んで、手も足も口も出さない。”(仏様ごめんなさい!)

だって似てるんだもん、大声出す訳でもなく、いつどんな時でも慌てない。いつもにこにこしている。

お寺の住職さんは”仏様は何時、いかなる時でも、悪人でも、善人でも見守って下さる。         
”南無阿弥陀仏を唱えれば、親鸞様はにこやかに私の願いを聞かっしゃる。”て言われるんだけれど・・・・・

ごめんなさ~い、仏様を悪いほうに使っていました。

かってのいいのっぽさんでした。

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ぜ~んぶが悪くて、ぜ~んぶがいいんじゃない。

その日は突然やってきた。忘れもしないH・4年12月17日、コンクリーミキサーを担け!(主人と一緒にかつぐこと)というので、今までもやっていたので、担いだ。所が思ったより重たかった。「お父さん重たいきおろすよ!」「もうちょっと待て!」私は思わず又力を入れた。
ところが、背中のどこかが”バキーッ”ぶっ倒れてしまい、全然動けなくなってしまった。

病院に行くと”ぎっくり腰みたいなもの(後で他の病院で圧迫骨折していた)、動けないので入院しますか。”という。12月の大忙しの時、入院などして居れない。動けないのに帰った。(これがきっかけで腰痛で悩むことになる。)

今まで自分の仕事は自分が、つれあいは農業で私の仕事は手伝ったことは無かった。
こうなったら連れ合いも仕方がない。当時は”かりかり大豆”が大反響で、毎日”かりかり大豆”ばっかり作っていた。注文が多くて休まれなかった。私が駄目になったら、連れ合いがその気になった。私は加工所の台の上に毛布を持ち込み、時折台から降りて、
口で世話をやいた。

それ以降、それがきっかけで主人が私の仕事を手伝うようになった。現在は加工の仕事を本業にし、農業は加工に必要なものを作っている。
何が良くって、何が悪いか分からない。私は主人が一緒にするので、以前よりも楽になった。”ぜ~んぶが良くって、ぜ~んぶが悪いんじゃない”

私は何か悪いことがあったとき、その次は、絶対に良いことが必ずある、と信じている。

つい昔の話をしてしまいました。

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